80代後半というご婦人Tさんが狭くて急な階段を上がって来られたのは、まだ暑い日が続いていた8月の終わりだった。

 

「これを見ましてね」

 

 息を整える間もなく、手提げの中から取り出したのは地元のミニコミ紙。そして、「ひと」というコーナーのページを開く。そこには僕の顔写真があり、彼女はその写真と僕が一致したことに安心したのか、ようやく笑顔になって一息ついたようだ。

 

 僕は鎌倉駅前の古い雑居ビル3階の小部屋を借りて「かまくら駅前蔵書室」という会員制の図書室を始めた。これを聞きつけ取材してくれたミニコミ紙には、僕の半生までが描かれていた。

 

「私の叔父が警察官だったり、娘婿もリストラされたりで、なんだかこの人とは縁がある」

 

 そう思って読んでいたら、鎌倉の本を集めた図書室をやっていると書かれていたので、いてもたってもいられずここまで来てしまったというのだ。

 

「都内に住んでいた若い頃から鎌倉が大好きでね、カルチャースクールの鎌倉の講座にも通ったの。その頃の本が今でもあるのよ。それをもらってくださらない?」

 

 「かまくら駅前蔵書室」は入会金代わりに鎌倉に関する本を1冊以上「贈書」(寄付)してもらうことになっている。本は家に置かれているよりも興味をもっている人に見てもらってこそ価値が高まる、「鎌倉」に限定すればなおさらだ、と僕は「贈書」の仕組みを思いついた。

 オープンすると、「自分にとっては大切な本だけれど、自分が死んだらゴミになるだけだから」と来室のたびに「贈書」してくださる年配の会員さんが現れた。「亡くなった父の本を先月すべて処分してしまったばかり。あぁ、早くここを知っていれば…」と悲しい顔をされる方もいた。本にとっても、本の持ち主にとっても、多くの人にページを開いてもらうのが何よりであることをあらためて感じたものだ。

 

「もうこの年だから通えないので会員にはなれないけれど、せめて本だけね」

 

というTさん。ただ重いので取りに来てほしい、できれば本棚からも下ろしてもらえないか…とのこと。

 お易いご用ですよ、喜んで。うかがう日の約束をして、急な階段をゆっくりゆっくり一緒に下りた。そして、駅に向かう小さな後ろ姿を見送った。

 

                 *

 

 9月に入るとぐずついた天気が続いていた。久しぶりに雨が上がった朝、僕は江ノ電の稲村ケ崎駅に降り立つ。Tさんはご主人の定年を機に稲村に引っ越して30年近くになるという。約束の時間にはまだ少しあったので、海沿いの国道まで遠回りをした。海を背にして地図を見ると、Tさんのお宅は国道からも確認できた。2階の窓越しにたくさんの本が並ぶ大きな書棚が見えた。背景の空は雲に覆われていたが、少しだけ青空がのぞきはじめている。

 

 芝生の庭に面した縁側に通され、並んで座って話をした。僕が書棚から下ろすつもりでいたその本たちは、すでに大きな袋に入って置かれていた。さすがにそこまでしてもらっては悪いからと、ご主人が頑張ってくれたそうだ。色褪せた表紙に交じって最近買われたであろう白い背表紙も見える。袋を手にすると、「持てるかしら」「だいじょうぶ?」とさかんに気を遣ってくださる。ちょうど同じ年頃の自分の母親の姿が重なった。

 

 「縁がある」と言ってくださったけれど、本当は縁もゆかりもないことはTさん自身がよくおわかりのはずだ。だが、そんな僕に思い出の本を託してくださるという。何かお返しがしたいが、何もできないでいる自分がもどかしい。

 

「またご縁があれば」

 

 門を出た僕の背中に、Tさんはそう声をかけてくれた。

 振り返って、何度も何度もお辞儀をした。そうやって感謝の気持ちを伝えるしかなかったのだ。

そして、涙があふれそうになって見上げた空は、いつのまにか青一色になっていた。

いただいた本の重さ以上の大切なことを肩に感じながら、僕は駅に向かったのである。

 

 

鎌倉の本が紡いでいく物語