クロアチアの旅へ

あの日、僕らはクロアチアを旅したのです。

 

案内してくれたのは、浄明寺に暮らす元ツアーコンダクターの安元純子さん。スクリーンには次々とクロアチアの美しい景色が映し出されました。実際にそこを旅して、そこで体験した純子さんの話だからこそ、その景色はよりリアルに美しさを増していたのだと思います。

 

4月10日、純子さんがカマゾウで開いたワークショップ「クロアチアの旅」。裏声が混じるような独特な声を、何だかいつもより張って、手振り身振りで、大好きだというクロアチアの魅力を存分に伝えてくれました。

 

 

「純子さん、こんどツアーやってよ、みんなで行こう」

終わると、大きな拍手と共に、参加者がそう口をそろえたものです。

 

 

それから純子さんは、しばらくカマゾウに現れませんでした。

代わりに数日後、小包が届きました。

 

中から出てきたのは「詩歌集いのちの旅」(安元純子著/起心書房刊)。「皆さんに差し上げてください」ときれいな文字でメモが添えられています。

 

 

「あとがき」には気になる一文があり、タイトルと共に、心がざわついたのを覚えています。

 

 

そして、おとといのことです。

「きみえ食堂」のきみえさんがカマゾウに来室。いつもの笑顔を急にこわばらせ、「報告があります」と。

 

「先週、純子さんが亡くなりました」と言うのです。純子さんは、きみえ食堂の常連でボランティアスタッフでもありました。

 

 

「クロアチアの旅」での元気な姿がパッと浮かび、亡くなったということのギャップが大き過ぎて、僕は立ちすくみ、頭の中で彼女とのシーンが次々と浮かんでは消えていきました。

 

 

「みんなにすすめられて来ました」と会員になってくださった初カマゾウのとき。

 

「バスの時間まで」と、ときどき寄ってくださっては、在室した皆さんと楽しくおしゃべりしていたこと。

 

「フェイスブックのイベントページを作るのが初めてなの、教えて」と言われ、パソコンやスマホの画面を一緒に覗き込んだこと。

 

プロジェクターとパソコンをつなげて投影できるか試したこと・・・

 

 

 

「走馬灯のように」って、こういうことかと思うと同時に、その1シーン1シーンが、あの「クロアチアの旅」につながっていたことを知ったのです。カマゾウで最初で最後の「クロアチアの旅」をやるために、力を振り絞っていたのかもしれません。

 

 

 

僕が一瞬の走馬灯を見ている間に、目の前にいるきみえさんの瞳には涙が溜まっていきます。いたたまれず、僕はなんだかわけのわからないことを口走るだけで、涙をぬぐいながら階段を下りて行くきみえさんの後ろ姿に、報告してくれたお礼を言うのがやっとでした。

 

 

「いのちの旅」あとがきの一文。

 

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六十五歳を迎えてから、私自身にも食道癌が見つかり、末期の診断を受けた。自分の命がカウントダウンの段階に入ったことから、命の有限さを改めて見つめ、この詩歌集をまとめてみようと思いついた。

 

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包みを開きこれを読んだとき、数週間まえの「クロアチアの旅」でのハツラツとした姿を目の当たりにしていたので、そうはいっても病の進行は止まっているのだろうと勝手に思い込もうとしていたのです。

 

 

「みんなで行こう」という声を、あのとき純子さんはどんな思いで受け止めていたのでしょう。それを思うと胸が締め付けられます。

 

コロナが少し落ち着き、海外への扉もまた開き始めています。あのときの仲間たちが、きっとみんなでツアーを組むはず。純子さん、その時はご一緒に。

 

 

 

あらためてご冥福をお祈りします。